pagetakaBlog

最近リフォームと鳥取県日南町の記事多め。写真、PC、ネット等の話題も

多里に「湯谷城」「所在城」「古市城」が…。

「日野郡史.上巻」を眺めています

国立国会図書館デジタルコレクション「日野郡史.上巻」を眺めています。

60年近く前、小中学校期を過ごした「多里」に関係するところを探しながらのヒマつぶしです。

「多里宿古市城」記述が第58ページに

【国立国会図書館デジタルコレクション「日野郡史.上巻」第58ページ部分】
【国立国会図書館デジタルコレクション「日野郡史.上巻」第58ページ部分】

同巻冒頭近くの絵図に「多里」がありました。それ以後、写真が掲載されていて(第41頁)、次に目に入ったのが、多里村の古墳や出土品を載せた第57頁です。その最後に上図のような記載がありました。

「湯谷城」「多里所在城」のどちらかと同じ城を指しているのでしょうか「古市城」

「多里宿」は旧多里村の中心部、現在多里と呼ばれる場所だろうと思います。「古市城」を次のサイトで見つけることはできませんでした。

ご存知の方、どうぞご教示のほど。

追記:多里には龜尾城もあった

「日野郡史」を読み進めていったら、「龜尾城」の記述がありました【下図】。

【「多里村龜尾城跡」の記述:日野郡史上巻第87頁。国会図書館デジタルコレクションから部分抽出】
【「多里村龜尾城跡」の記述:日野郡史上巻第87頁。国会図書館デジタルコレクションから部分抽出】

我がまちのおすすめスポット「常福寺」(多里):pdfにも紹介されていました。

なお、「常福寺」創建は、(1)我がまちのおすすめスポット「常福寺」で1559年、(2)日野郡史上巻第87頁では「天正中」(1573~1592年)、と若干違いがあるようです。なお「曹洞宗ナビ」では同寺沿革の記載はありませんでした。