- 前説:二人の叔父が第二次世界大戦で戦死しています。
- 父方の叔父は、ルソン島妙義山で亡くなった
- 防衛研究所発行の「戦史叢書第60巻」に位置特定につながる資料がありました。
- 妙義山はカピンタラン(キャピンタラン)のおよそ東
- 米軍の進軍を含む「外見図」
- おまけ:妙高山は連山、連峰、のようで単独峰の名前ではなさそうですが…。
※ルソン島に訂正しました(誤:レイテ島)。日付にも一部間違いがありましたので訂正しました。

前説:二人の叔父が第二次世界大戦で戦死しています。
- 父方の叔父・1945年3月29日:ルソン・ヌエバエンバ州妙義山に於いて(略)戦死(歩兵第63連隊)
- 母方の叔父・1945年5月2日:戦死
今回は、父方の叔父のことです。
父方の叔父は、ルソン島妙義山で亡くなった
これまでブログに書いた過去記事です。
約10年ほど前に調べた結果、バレテ峠の位置は判明したものの、「妙義山」の位置特定に至る資料を見つけることができませんでした。
マニラなどから北東方向に後退する日本軍が米軍と激しく戦闘した場所です。
防衛研究所発行の「戦史叢書第60巻」に位置特定につながる資料がありました。
ネット徘徊の結果、「帰還者の記憶ミュージアム 平和祈念展示資料館(総務省委託)」にいとぐちがありそうということで問い合わせたら、防衛研究所戦史資料室に資料があるのではないかと教えていただきました。
電話で問い合わせたところ、「調べておくので再度電話を」とのことでした。指定された日に電話したところ、収載されている本があることがわかりました。
インターネットで閲覧も可能ということで早速閲覧しました。「妙義山」の位置を知る手掛かりがありました。「戦史叢書第60巻」p.441にある二つの図面のうち一方に「妙義山」の文字がありました。しかし、隣接する街の名前がかすれて見えません(≒解像度の問題)。
現物の本「戦史叢書第60巻」を探しました。運よく見つかりました。本の方では位置関係を理解するのに必要な街の名前などがわかりました。
妙義山はカピンタラン(キャピンタラン)のおよそ東
歩兵第63連隊(鉄5447、林隊長)→第一大隊→第3中隊→第3小隊→第3分隊の所属でした。地図上に「板垣」の文字が見え1945年4月13日戦死した板垣第1大隊長を指しているものと思われます。
カピンタラン(キャピンタラン)の東に陣地が記されていて、その周辺に「妙義山」の文字があります。googleマップとEarthで位置を推定しました。mapの500m、600m等高線目印にしたら、およそわかりました。妙義山での陣地は700m等高線より下に位置しているのもわかりました。
GoogleMAPで探した、おそらくこの辺りというのが以下のリンクです。
緯度経度は、16°05'33.4"N 120°56'14.5"E と表示がありました。
現地をご存知の方がこの記事の閲覧者におられましたら、今回、爺がここではないかと印した「妙義山」がどうなのか、コメントででもお知らせいただければ幸いです。
米軍の進軍を含む「外見図」
10年前に入手したカピンタラン、ミヌリ近傍の「外見図」があります。米軍が1945年3月28日までにミヌリに迫っているのがわかります。叔父の戦死日は3月29日。やや北のカピンタランを米軍が突破しさらに北上したのが4月12日、と記されていました。この期間の先頭の早い時期に叔父は戦死したのだろうと想像しています。
おまけ:妙高山は連山、連峰、のようで単独峰の名前ではなさそうですが…。
調べていると「妙高山」がたびたび登場します。ひとつの山と思っていました。今回見た地図には「妙高山」は尾根筋に沿って2回表示がありました。山頂を示す▲が3つありました。ミヌリの北、「一ノ谷」に迫る連山・尾根筋のようです。
今回の記事を書く際、頻出する「妙高山」はてっきり一山と思っていました。それも含め、なかなか「妙義山」位置を爺なりに推定できなかったのでした。
歩兵第63連隊の1944年7月当時の編成表(写し、部分)が手もとにあります。多くが鳥取県出身者のようです。日南町出身のお名前が、叔父以外にもありました。