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最近リフォームと鳥取県日南町の記事多め。写真、PC、ネット等の話題も

旧多里村を構成する八つの村

11月第2日曜(2022年は13日)は、多里神社の秋祭り。

多里神社石鳥居に「多里八ヶ村大社」の石額があり不思議に思いました。

日南町新屋にある「多里神社」は旧「多里村」の神社です。

現在の基礎自治体につながる最初の町村制が敷かれたのが1889年(M22)でした。このとき多里村は成立しています。「八ヶ村」がどこどこなのか「日野郡:Wikipediaで調べても判然としませんし、自分が知っている地名にも一致しません。

日野郡史・上巻が国会図書館デジタルコレクションにあった。

国立国会図書館のデジタルコレクションのうち「インターネット公開(保護期間満了)」ということで許可不要で引用できる資料があり、そのなかに「日野郡史・上巻(1926年)」がありました。

巻頭ちかくの絵図を見ると、多里村と思しき場所に、八つの地域を示すだろう地名がありました。

【旧多里村の地域を示すとみられる「日野郡史. 上巻」巻頭絵図部分:国立国会図書館デジタルコレクションから部分引用】
【旧多里村の地域を示すとみられる「日野郡史. 上巻」巻頭絵図部分:国立国会図書館デジタルコレクションから部分引用】

上図左側、ふくらんだあたりに「同三坂野道」が見えます。道後山のふもと方向・国道183号線・鍵掛峠(かっかけとうげ)の県境・広島県側を指すのではないかと思います。上図のそれを、右に見ると、野組、中園、新屋、多里、湯谷、河本、萩原、上萩山の8つの地名が見えます。これが「八ヶ村」を指すのでしょうね。

改めて、前掲のWikipediaから拾い出すと、1868年に、「萩原村、河本村、上萩山村、多里宿、新屋(にいや)村、中園(なかぞ)村、野組(のぐみ)村、湯谷村」の八つを読み取ることができました。

1899年に「多里村」成立。

鳥取県の資料「 市町村の変遷(pdf)」などを見ると、1899年に「多里村」が成立したとき合併したのは、多里宿、湯河村(1877年:河本村・湯谷村合併)、萩原村、上萩山村、新屋村(1877年:中園村・野組村が新屋村へ合併)ということのようです。

爺は、「湯河」というのはもともとそういう地名だったと覚えていたのですが、それ以前の合併でできた地名というのは初めて知りました。また、新屋から、おそらく「新山」を経由し、島根県坂根、広島県油木、広島県小鳥原へと道があったようですが、現状を国土地理院の地図で見ても、なかなか険しそうです。

資料調査不十分などで、事実と齟齬を来たしているかもしれません。お気づきの方は、どうぞコメント欄などでお知らせください。