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「日野路案内」(坪倉米山作)が「日野郡史.上巻」にありました。

前説:「日野郡史.上巻」国立国会図書館デジタルコレクションを眺めています。

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頁をめくると、旧多里村界隈のことも書かれています。まだ読み始めたばかりです。チョット気になった「日野路案内」(坪倉米山)の関係分を紹介します。

多里には備中地方から続く石灰岩がある…?

【「日野路案内」(坪倉米山作)、日野郡史上巻P22部分】
【「日野路案内」(坪倉米山作)、日野郡史上巻P22部分】

この案内【上図】に豊栄から出立を越え「此里」に来たら石灰を産出している、との旨の記述があります。旧多里村内に石灰の場所があったとことを、爺は知りませんでした。

多里盆地に石灰石がある?

同巻・第2章「地理概説」・第2節「地質」に次のように載っています。漢字読み暦などは適宜、爺が変換しました。そのため以下は正確な引用とは異なりますが、読みやすさを優先しました。ご容赦のほど。

…(略)…大山は輝石安山岩、火山灰より成り、ただ多里(編者いわく、日野郡の最奥日野川の発源にして、平地海抜430mなること後にあり)の一小盆地のみ水成岩にして、所々稀に石灰岩の露出せるを見る。(編者いわく、多里盆地も基底は火成岩にして、石灰岩は備中の脈続きなり。隣村福栄にもあり。1890年6月農商務省技師農学士早川元吉郎調査になる土性図あれども、通覧的踏査になるものなれば、尽くさざるところ多し。その他専門家の研究になれるもの無きをもって、その成因を明かすこと困難なれども、最近臨地研究せる渡辺教諭(略)の講話などを参照して、その概要を記すこととせり。
…(略)…

このあと、クローム鉱についても触れています。

坪倉米山さん=坪倉鹿太郎さん(1856年ー1921年)

「日野路案内」をつくった坪倉米山さん、ネットで調べてみたら、佐木谷村在住で「日野郡野史」をまとめたた坪倉鹿太郎さん(1856年ー1921年)だそうです。


実際に石灰石がまだあるのか気になります。
「日野路案内」には石灰以外にも気になる箇所がいっぱいあります。酒造所が萩原にあったみたいですし、クローム鉄鉱、松皮石、などなど。また機会を得て、続きを書けたらと思います。