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辞めた:責任をとる自信がないので、とある「立場」から去る

本日午前、とある法人の会議がありました。そのあと、事務局に現在の立場を務める自信がないので辞める、とお伝えしました。

法人の最高決議機関であり、年4回程度開催され、法定重要事項を決議したり、執行部・理事者側からの報告を受ける、などというものです。

会議時間は2時間。理事者側からの発言でおよその時間が消費されます。

3月の同会議後、理事者側代表から、(1)発言を事前にしてほしい、(2)会議の発言時間は常識の範囲で、などとのことを伝えられました。それに対し、(1)事前に資料を届けてほしい、(2)会議終了時間は招集文書に示されておらず、理事者側からのこの種の発言は圧力、と批判し、ひとまず別れました。
6月の同会議では、理事者側からの発言を受け入れる形で、事前に文書(メール)で通知しました。その回答は会議までに受け取りました。その結果、爺は当該会議で発言を控えました。

11月の今回の会議には、6月会議の議事録が確認が行われます。爺が事前にやりとりした内容はおろかその事実すら触れてない議事録が確認されました。つまり、6月会議前に爺が会議資料を前提に文書提出したことは、なんら記録に残らない、ということなのでありました。これが、3月時点で「圧力」と理事者側代表者の発言を批判した意味の核心部分です。会議を効率的に進めるため、ある程度事前整理があることを爺は否定しませんが、その事実すら記録に残らないというのは、いただけません。

十分な発言を保障されず、代替手段の記録すら残らない、文書的に整合性が疑われるというようなことで、決議文書に賛成したり、報告文書を承認するという考えは爺には無く、採決で賛成を表することはできません。

11月会議の後、事務局に対し、現在の立場を辞める事、以後の会議は出席しない、などのことをお伝えし、会議文書にあるさまざまな問題点(爺にはそう見える)のうち最重要なことを付け加え、会場を去ったのでありました。

法人自体は大切と思っていますし、その活動も意義あるものと考え、現在の立場でお手伝いしたいと思ったのが2年弱前のことです。しかし、現在に至り、努力の限界、我慢の一線を越えた、ということでありました。